くまてつ@日本語教師です。
今回は「意志動詞」と「無意志動詞」の違いについて説明したいと思います。
動詞の種別にはどんなものがあるのか?
無意志動詞と意志動詞といった違いだけではなくて、様々な分別方法があります。
例えば「自動詞・他動詞」「瞬間動詞・継続動詞・状態動詞」「1類・2類・3類」など分別の仕方は多様です。
他にも移動動詞とか可能動詞、使役動詞なども動詞の種類を指すことばですね。
このように様々な種類がある動詞ですが、今回は「無意志動詞」と「意志動詞」の見分け方だけをご紹介したいと思います。
意志動詞と無意志動詞とはなにか?
意志によってコントロールできる動作や状況を表すのが意志動詞
その行動や状況を主体がコントロールできるものを意志動詞(意志的動詞)と言います。
例としては「します」「食べます」「飲みます」「行きます」などがあります。
どれも主体が、自分の意志で実行するものです。
そうしたいと思えば、できますし、したくないと思えば、やめておくこともできる事を表す動詞が「意志動詞」です。
意志によってコントロールできない動作や状況を表すのが無意志動詞
意志動詞に対して無意志動詞とは、その行動を主体がコントロールできないもののことです。
この無意志動詞には特徴がありますので、その代表例をご紹介します。
動詞の「ある」は、無意志動詞です。
机の上にリンゴがある
そこに物が存在している事を示す「ある」は無意志動詞です。
机の上に誰かが意図をもってリンゴを置いたのでしょうが、それがそこに存在することを示す「ある」に意志によりコントロールされている状況ではありません。
自然現象を表す動詞
自然現象に意図はありません。それで「降る」「吹く」などは無意志動詞です。
例)雨が降る。風が吹く。
誰かが意図的に雨を降らしているわけでも、風を吹かせているわけでもありません。
もし意志の力で天候をコントロールできれば、その人は「神様」ですね。
生理現象や心理描写
主語が人であっても、現象をコントロールできない動詞は無意志動詞です。
例)彼はそのニュースを聞いて腹をたてた。ガッカリした。
例)恐怖のために震えた。
震えや汗などに関する、体に生じたある種の現象は、人の意志とは関係なく生じますしね。
確かに、落胆したり、おびえたりすることは意図的なものではありません。
偶然生じた出来事を示す動詞
同様に交通事故や予想できない出来事が生じたことを説明する動詞も無意志動詞です。
交通事故に遭った。
思いがけず親友と街で出会った。
意志的動詞にも無意志的動詞もなる動詞
「なる」「忘れる」「倒れる」「落とす」などは意志的・無意志的動詞ともに使えます。
これらは意図して、もしくは意図せずに行動できるからです。
もう少し詳しく説明します。
「なる」の場合
1:彼は大学を卒業して、念願であった教師になった。(意志的)
2:今日の授業は突然休みになった。(無意志)
教師になろうと志すことができますので、例文1の「教師になった」の「なった」は意志動詞です。
しかし例文2の場合の「なった」は「休講」になったことを述べる動詞です。この場合話し手は授業を休みにさせることができませんので無意志動詞となります。
休みになって欲しい!と思うことは自由ですが、意志の力ではなんともならないので、無意志動詞です。
「忘れる」の場合
1:彼女のことは忘れよう。(意志的)
2:財布を持ってくるのを忘れた(無意志的)
2番目の例文は本当に意図的でなかったのかわかりませんが・・・
通常、財布を忘れるという場合、聞き手は当然それがミスであると判断します。
それでこの「忘れる」は無意志動詞です。
でも例文1の彼女のことを忘れようという場合は、意志の力で忘れようとするので意志動詞です。
忘れられると良いですね。
「落とす」の場合
ガリレオは斜塔から鉄球を落とした。(意志的)
地下鉄で財布を落とした。(無意志的)
落とすという動詞も、意図的に目的をもって落とす場合と、ウッカリと落としてしまう場合の2種類に分けられます。
意志動詞か無意志動詞かを見分ける方法
文法的な違いがあるのか?
日本語教師のなかには、無意志動詞と無意志動詞には明確な違いがあると言われる方もいます。
例えば、無意志動詞は「命令形・禁止形・意向形・可能形・使役形・受け身形」になることができない。また願望や依頼を表す形にもなれない。という考え方です。
でも、例外が多数存在しそうです。
例えば「風よ吹け」とか「雨よ降れ」と命じることは可能ですよね。
日本語として問題は感じません。
それで、文法上の分類だけでは、見分けられないとわたしは思います。
それで見分け方としてお勧めなのが、意図したらすぐに行動できるか、もしくはその状況が生じるかどうかを確認するという方法です。
意味の違いから意志動詞・無意志動詞を見分ける方法
例えば「泳ぎます」の場合はどうでしょう。
泳ぎたいと思えば、準備が必要ですが一般には可能です。
プールや海へ行き、泳げばいいだけのことです。
しかし「晴れます」という動詞ならどうでしょう。
晴れて欲しいと思っても、どうにもなりません。
「風よ吹け」とか「雨よ降れ」と命じることは可能ですが、そう命令したからといって天気をコントロールできますか?
当然無理です。それでこの「晴れます」「吹きます」「降ります」などは無意志動詞であることがわかります。
このように意志でコントロールできるかどうかが見分ける鍵になりそうです。
意志動詞・無意志動詞に関してよくある質問
例えば「電気が消えます」の「消えます」は無意志動詞です。
また「木が折れた」の「折れます」も無意志動詞です。
でも「東京へ行きます」の「行きます」や「毎朝8時半に起きます」の「起きます」も自動詞ですが「意志動詞」です。
というわけで自動詞がすべて無意志動詞というわけではありません。
例えば「父は年をとって丸くなった」という例文の「なった」は意志的動詞です
意図してなくても年をとると丸くなる人もいますが、この見極め方は文法的な違いで説明できます。
前述のように「無意志的動詞」は「命令形・禁止形・意向形・可能形・使役形・受け身形」などになることができません。
でもこの例文は次のように言い換えることもできます。
年月は人を丸くならせる。
使役形に変換できるということは、この場合の「なります」は「意志的動詞」である証拠です。
また「もう夜の11時になった」という場合の「なった」は無意志動詞です。
これは人の状況の変化ではなく、時間の流れを説明しています。
この文を「もう夜の11時になれるよ」とは言えません。
その時刻に到達するかどうかはコントロールできません。
しかし「早く11時になれ」とは言えます。
これは話し手の願望を表す表現です。
でもこの場合の「なれ」もやはり「無意志動詞」です。
なぜなら願っても願っても時間の流れをコントロールすることは人にはできないからです。
なぜなら媒介語なしで意志動詞と無意志動詞の違いを説明することは、初級クラスの場合、おそらく不可能だからです。
しかし教師は理解しておく必要がありますし、N4レベルでも意志的動詞と無意志的動詞の使い分けに関する問題はたくさんありますから避けては通れません。
それで教えるべきとは言えませんが、様子を見つつ理解を助ける必要はありそうです。
意志動詞と無意志動詞の違いは結構混乱しやすいので、しっかりと覚えておこうと思います。
くまてつでした。